青いウルトラマン

確か20年近く前のホビージャパンだったと思うが「ウルトラマンは菩薩のイメージ」という文章を読んだ覚えがある。
ガキの足りない脳味噌にはこの文章は結構染みたらしく、今でも左右非対象のデザインのウルトラマンが登場したりすると、潜在的な嫌悪感を感じる。左右非対称の菩薩など、醜悪なだけだ。

ネクサスの姫矢という人物は、存在自体がウルトラマン菩薩論を否定するスタンスだ。かつてウルトラマンに変身するという事は、ハヤタの中に間借りしているウルトラマンが出現するという事であって、変身後の行動にはハヤタの意思の介在は基本的にはなかった。

しかしネクサスにおいて、ウルトラマンという存在が「姫矢に与えられた戦う力」というポジションである以上、戦う意思は姫矢に一任されている。ウルトラマンと姫矢は同体で、むしろネクサスという「意思」は存在しないに等しい。これがある種の「ウルトラマン弱いぜ」という印象に繋がっていることは自明だし、設定的にも仕方のない事だとも捉える事ができる。

ウェブマスターは巷より遅れてネクサスを見ているので、昨日姫矢が死んだばかり。
自己犠牲という言葉はあまり好きではないし、ヒーローが身を挺して戦うのはラスボスだけでよいと思っているのだが、その主人公が死んでしまった。
主人公が交代するというのは番組的には大英断(次の主人公の人気が出ないと、旧作の登場人物がいつまでも画面内をフラフラする種ガンダムのようになってしまう)だと思うし、製作陣がそれだけ真剣にウルトラマンを見直しているという事かもしれない。